手帳と

巡って今

私ははるか昔にあるミュージシャンのソロ・ライヴを見たことがある。
先日その人のバンドのライヴをみることができたので、昔見た時のことを書いた日記が残っていないか探してみたら、なんと残っていた。残っていた上に、書かれていた内容はほとんど覚えていなかった(だって連れていってもらっただけだから…)。いや、曲も聞いてたんだけど。

なんだろう。今、複雑な思いなのである。

というのも最近そのバンドに会う機会があり、本人にも会えた。
その時は見たことを忘れていたから言わなかったけど、でも私が覚えていないんじゃ、引っ張り出して言ったとしても会話の重みがなかっただろうな。

でも、
凄いなあと思った。そうやって巡ってくる事柄があるんだ、ということ。

なぜ凄いか。それは今私が、その人の音楽が持つ絶大な魅力と造形の深さにあてられて、この音楽を知りたくてたまらないからだ。

「バンドの方もよく知らなかったから、みんなが盛り上がっているのについていけなかった、とその日記にも書いてあるぐらいあの頃は無知だったし、評判の高い人を見られたぐらいにしか重要性を感じていなかったけど、今思えばあれは貴重な体験だった。かすかなものであるにせよ、あんな昔に接点があったことが、本当に嬉しい。

最近はその音楽をよく聴いていたけど、実に表面的にしか捉えてなかったということを、1曲1曲じっくり聴くごとに気付かされている。当面は彼らのアルバム、楽曲、歌詞、コード、奏法を研究して楽しみつくしていける。

それに、レギュラー・チューニングでは弾けないKey設定なので、ダウン・チューニング専用のギターの必要性も真剣に考え始めている。ギタリストの定番ジョークの1つにあるではありませんか…「そんなにいっぱいギターがあるんだから、もういらないでしょ?」「いやでも、このタイプのギターは持ってないんだよ!」と新しいものを買うパターンですよ、奥さん。

それにしても、ライヴを見た日を今でも簡単に思い出せるので、ここ数日気になっていたものの大したものが残ってなかったらどうしよう(そんなことに時間を使って!みたいな)、と不安でもあったけど、思い切って今日、古いHDを2つ引っ張り出してようやく発見。調べて突き止めるだけの記録を目の当たりにできてよかった。書いた場所はさるさる日記。そのユーザー番号(=日記のアドレス)も、ちょっと思いを巡らせたらポンと口に出てきたのには笑った。ていうかそもそも、さるさるがアーカイブされて今でも観られるようにしてくれていたことに感謝。つまり、GMOに感謝。

…と、もう控えたはずの日記書きという作業を引っ張り出してくるぐらいの出来事だったみたいで…音楽の面白さはこうでなくちゃ。